インド人は写真好き〜
久しぶに訪ねたインドで驚いたのは、人々は写真が大好き!! だった事。
一眼持っていると 「ナイスカメラ」とか「フレンド」と話かけられる事が多いし、カメラを向ければ、最高の笑顔でポーズを決めてくれる。「家族や友達も一緒に写してくれ」と呼んで来てくれたりもする。ちょっと写真撮っても良いですか? なんて聞くのは野暮もいいとこ。
早く撮ってくれ! もっと撮ってくれ! くらいの勢いで迫って来る。
もう一つ驚いたのは、何と一緒に写ってくれと頼まれる事が多い事。
インド人にとっては「動物園の珍しい猿」と一緒に写真でも撮っとくかなんて感じなんだと思うが、此方としては有名人になった感じで悪い気は全くしない。 笑)
撮ったり、撮られたりで楽しい時間を過ごす事が出来た!!
インドでわしも色々あった〜 回願録:カルカッタ(コルカタ)編
中国の旅を終え、バックパッカーに目覚めた若かりし頃、旅本を読むのが何よりも楽しかた。そして3冊の本に出会う。
インド凄えな〜 面白そうやな〜
行くしかないな〜しかし、憧れたその地で騙され、ラリれず散々な目に遭った。
そんな色々あった「カルカッタ(コルカタ)の旅」を回願してみようと思う。
DATA
国名:インド コルカタコルカタ(ベンガル語: কলকাতা [kolkat̪a], 英語: Kolkata)はインドの西ベンガル州の州都。世界屈指のメガシティであり、市域の人口密度は首都デリーやインド最大都市ムンバイ以上である。イギリスの帝国主義政策における主要な拠点として建設され、イギリス領インド帝国時代の前半は植民地政府の首都機能を有していた。
2011年の市域人口は448万人。2016年の近郊を含む都市圏人口は1,481万人であり、世界第20位、インドではデリーとムンバイに次ぐ第3位である。かつては英語化されたカルカッタ (Calcutta) という名称が用いられていたが、2001年にベンガル語の呼称であるコルカタに正式名称が変更された。
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インドでわしも虫に噛まれた
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インドでわしもサトシと知り合う
サトシと名乗るインド人と仲良くなる。インド人なのになんでサトシなのか?
深く考えると闇に入るので考えない事にしたが、怪しげな関西弁を喋るサトシは、妙に人なつこく根明。屋台で土産を売るのを生業とし、なんか買えと煩いが、何故か愛嬌が有り憎めない。一緒にチャイを飲んだり遊んだりして過ごした。
真ん中がサトシ。スリムで男前?
インドでわしもサトシと知り合う
そんなサトシ…実は有名人らしい。ネットで検索すると沢山出てくる。
お!今でもサダルに居ますか。今度会いに行こうかな〜
↓ この写真は、ネットで借りて来た。
面影あるけど太ったな〜
#サトシ #ホテルパラゴン
インドでわしも色々あった〜 回願録:ヴァーラーナシー編
中国の旅を終え、バックパッカーに目覚めた若かりし頃、旅本を読むのが何よりも楽しかった。そして3冊の本に出会う。
インド凄えな〜 面白そうやな〜 行くしかないな〜しかし、憧れたその地で騙され、ラリれず散々な目に遭った。そんな色々あった「ヴァーナーラシーの旅」を回願してみようと思う。
DATA
国名:インド ヴァーナーラシーヴァーラーナシー(Varanasi、वाराणसी vārāṇasī)は、インドのウッタル・プラデーシュ州、ヴァーラーナシー県の都市。同県の県都でもある。人口は約120万人(2011年)。
ガンジス川沿いに位置しヒンドゥー教の一大聖地として、インド国内外から多くの信者、巡礼者、観光客を集めるインド最大の宗教都市である。街の郊外には、釈迦が初めて説法を行ったサールナート(鹿野苑)がある。 また古くは「カーシー国」とも称され、波羅奈国とも称された。ヒンドゥー教・仏教の聖地として重要な都市。
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インドで奴は騙された
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インドでわしは、ラリれんかった
ドミでは出会いも会った。オーストラリア人のパーマっ気金髪長髪野郎は、常にクルタ&パジャマ姿。文字通りのヒッピーで何時もギターを弾いていた。フィッシャー(魚師)してたが嫌になって飛び出したらしい。
日本人も居た。住込みで働ける期間工等で定期的に金を貯めては、アジアを旅して金が無くなれば、日本に戻って仕事をするとの事だった。
放浪人と称しよう。
そんな二人には、ある意味お決まりで共通の楽しみが有った。ハッシシ(大麻樹脂)・ ガンジャ(大麻)… ある日の夜、そんな二人に誘われた。一緒にやろうぜ!
ハッシシ(大麻樹脂)は、消しゴムの様に弾力が有る。これをパチンコ玉位の大きさに丸めて、尖ったペン先に突き刺し火で炙って指でシゴいてパラパラにする。
次に、普通の紙煙草から葉っぱだけを取り出し、パラパラにしたハッシシと混ぜて再度、紙煙草に詰めて吸う。吸い方は、思いっきり肺に煙を貯め込めゆっくり吐く。
フィッシャーマンと放浪人は、既に何処か遠くの彼方にTripしている。気持ち良さそう。凄えな〜 しかし自分は、何処にもTrip しない。何も感じない。逆に気分だけが悪くなって来た。 もう二度と吸いたくない。こんなモノ何処が良い? そう、
インドでわしは、ラリれんかった。
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インドでわしは、沐浴した
汚染レベルが尋常では無いからである。
@ガンジス川の汚染
ガンジス川の豊富な水は様々な用途に使われているが(「経済」を参照)、両岸には上水道や下水道が未整備の地域が多い。また宗教上の理由からトイレを設けない家庭も多く、河川周辺での屋外排泄を行う人口も多いことなどもあり水質汚染が進んでいる。2007年には世界で最も汚染された5つの河川となり、ワーラーナシー付近での大腸菌レベルはインド政府の定める基準の100倍にまで上った。汚染は人間だけでなく140種の魚類や90種の両生類、絶滅危惧種のガンジスカワイルカなどにも大きな影響を与えている。またこの汚染は、ガンジス流域に住む4億人の健康にも多大な悪影響を及ぼしている。この膨大な人口から排出される下水や化学物質、ゴミがさらに汚染を深刻化させている。川の周辺に住む多くの貧困層が川の水を直接、食事や洗濯、風呂に使用することで健康上の被害はさらに拡大している。
ガンジス川には、抗生物質や抗菌薬を濫用した人間・家畜の排泄物が流れ込むため、それに混じった耐性菌によると見られる病気が近年増えている。
沐浴場は、人で溢れていた。
そして熱心に沐浴をしていた。
しかしその水は、本当に汚い。 躊躇いながらも石畳の階段を下り川に足を付けると苔なのか何なのか得体の知れない粘着質の物体が、足裏に粘りつき寒さを覚える。
気持ち悪過ぎる。こりゃもう思い切って入るしかない…。。 という事で、沐浴と言うより泳いで来たが相応しい。しかし気分的には、
インドでわしも沐浴した。
尚、余談だがその後下痢にも赤痢にもならず蟯虫も出なかった。 笑)
インドでわしも色々あった〜 回願録:デリー編
中国の旅を終え、バックパッカーに目覚めた若かりし頃、旅本を読むのが何よりも楽しかった。そして3冊の本に出会う。
インド凄えな〜 面白そうやな〜 行くしかないな〜 しかしその地では囲まれ、監禁され、騙され散々な目に遭った。
そんな色々あった 「デリーの旅」を回願してみようと思う。
DATA
国名:インド デリーデリー連邦直轄地(デリーれんぽうちょっかつち、ヒンディー語: दिल्ली [d̪ɪlliː]、英語: Delhi [ˈdɛli])は、インドの首都特別地域である。面積1,483km2、人口は1,679万人で、インド北部の大都市圏を形成しており、同国の商業・工業・政治の中心地にして南アジアを代表する世界都市の一つ。
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インドでわしは囲まれた
先ず洗礼を受けたのは、路上で人に囲また事。 真面に10m歩けない。
ポン引きのひつこさは、歌舞伎町の客引きの比ではない。宿、闇両、大麻、女 何でも御座れで、煩く何処までも付いてくる。断っても断っても付いてくる。ひつこい。粘い。
公園に座れば、子供が勝手に肩を揉んだり、靴を磨き始める。突然、歌いだし金をせばむガキもいる。 鬱陶しいにも程がある。
乞食のバクシーシも凄まじい。自らの不具を訴える者。沢山の子供を抱えた母親。
インドでわしは囲まれた。
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インドでわしらは監禁された
客引き あるある。
- 妙に日本の地名を上げて来る。
- 日本に兄弟、親戚、友達が住んでいる
- 推薦ノートを持っている。(旅行者がこの人は親切とか安心とか書いた)
日本に居れば其れがどうした?になるのだが、不思議なもので海外居ると妙に安心してしまう。そしてそんな若い一人のあるある君と出会った。
「日本に兄貴が居て自分も行こうと日本語勉強してるんだ! 日本語話せたら勉強になるし、安くするからガイドさせてくれない?」 とあるある君。
あるある君は親切でリキシャで色々連れて行ってくれた。入場料とか日本人が払うと高いから後で精算ね〜 と言って払わせない。
此れが後にとんでもないことになるとは全く想像も出来なかった。
「腹減ったな〜 奢るから何処かで昼飯食べようよ〜」 と誘うと、「叔父がホテルを経営してるからそこで食べよう」 とあるある君。
断る理由も無く、ホテルに向かう。てっきりホテルのレストランで食べると思っていたが、部屋に連れられた。
そして其処に現れたのは、強烈なオヤジ。
一人は、頭にターバン。筋肉隆々でタイガージェットシンにしか見えん。
一人は、丸坊主のずんぐりでブッチャーにしか見えん。優男のあるある君は、ドアの前に立ち此方を見てる。
シンは、目の前の唐辛子を生のままボリボリ食って、お前も食えと差し出す。辛く無いのか? 恐る恐る口にするが火が出る程辛い。 どんな味覚しとんじゃ。
ブッチャーは、親指でビールの栓を抜く! お前は手品師か?
奴らは、終始笑顔だがわしらの金玉は、完全に縮み上がり戦意喪失。猪木、藤浪 助けてくれと祈っても無駄である。 怖すぎ。
ただただ怯えてビールを飲んでると、急にシンが何やら書き始めた。
そしてその時は、来た!
渡された紙には、ガイド料や入場料、飯代等々 二人で総額¥50,000 程とある。
怖くて払えないとは言えず、頑張って言えたのは「持ってない」。
「日本人がその程度の金持ってない訳がない」そのやり取りが何度も続く。
当然、部屋から出る事は出来ず、インドでわしらは監禁された。
暫くするとシンが 「有金全部出せ!」 と体を探って来る。そして先ずは、胸ポケットに入っていた小銭(1000円分くらい)、
次に尻ポケットの財布に入っていた中銭(10000円くらい)を毟り取られる。
一緒に旅した連れも同じく毟り取られる。
「他に何処に隠してある?」 とブッチャーも臭い息で迫って来る。「残りは荷物(バックパック)と一緒にホテルに預けている」 此処に無い。と芝居を打つが、大銭は腹巻に隠して有る。見つかったら旅も終わり。天に祈る。
しかしこの最後の祈りが通じてシンは我々から毟り取るのを諦め我々はホテルから
連れ出されリキシャに乗せられ、何処か全く分からない場所で降ろされ解放された。
あるある君は、終始悲しい顔を此方に向けてたが、そんな顔するくらいなら、初めっからこんな事するんじゃねえ! と言いたかったがシンとブッチャーが怖すぎて大人しくしていた。
大邱(韓国) アンジラン コプチャン通り(안지랑 곱창골목)でマシソヨ!
大邱(韓国)のグルメと言えば、コプチャン(豚の小腸)! アンジラン コプチャン通りは、「チョンマル マシソヨ」だった。
DATA
名称:アンジラン コプチャン通り
住所 大邱広域市 南区 大明路36キル63 (大明洞)アンジランオゴリ(五叉路)からアンジランゴルへ行く道に形成されたアンジラン市場は、最近ヤンニョムコプチャン(味付けホルモン)を提供する店により、新たな活力を得ています。1979年頃にアンジラン市場にオープンした忠北食堂というコプチャン店をはじめとし、1998年頃からコプチャン店が増え始め、今では「アンジランコプチャン通り」と呼ばれるようになりました。2012年には文化体育観光部主管の全国5大うまいもんテーマ通りにも選ばれました。
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アンジラン コプチャン通り
何となく昭和っぽい通りの両脇に、コプチャン屋が軒を列ね客引きのアジュマが声を掛けて来る。
店が多過ぎて、何処に入れば良いのか本当に迷う。これ全部、コプチャン屋? 多過やろ!
そんな時に間違い無いのは、人が多い店を選ぶ… 事。其れに尽きる。並んだり待ったりするのが嫌で閑散とした店に入ると高い確率で失敗する。人が多いのも少ないのも、必ず理由がある。
当然、賑やかな店を選んだ。
先ずは、王道のコプチャンを500g …
↓ 焼き目を着けてこんがり狐色になったら食べごろ
酒のあてに最高!
ビールの次は、マッコリ。
因みに、マッコリは日本語で現地では通じません。マッコルリー(ルは舌を巻く感じで短く)と発音しましょう 笑))
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テンジャンチゲ
ここのテンジャンチゲ味が濃厚で本当に美味い
スープの粘度が高くトロッとしている。
天一のラーメン(こってり)が好きならお勧め
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辛味コプチャン
次は、辛味のコプチャン。(正式名称は、忘れた)ピリッと辛くて此方も美味い。チョンマルマシソヨ!
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炎に包まれたチーズ&コプチャンの炙り
廻りをよくよく眺めると、必ずと言っていい位に頼んでいるのが之。 アガシが客の目の前でトーチ使って豪快に炙っていた。
看板メニューか?チーズがトロッとして美味そうじゃ。食べたい。
しかし、我々は注文する事は無かった。と言うより出来なかった。
何故なら、既に腹一杯。時既に遅し。
次に機会あれば、必ず食する事を誓って店を出たので有る。 笑)